1/8付日経新聞の「春秋」
----------------------------------
なんという自分勝手な思いつきの言葉であろう。
為政者は自らの言葉、行動に責任を持たねばならない。
それに比べ記者は、国民の名を借りて、裏をとることもせず言いたい放題、結果がどうであるかは二の次、常に為政者の足を引っ張ることだけを考える。
「ひとり語りの中身」を記憶しないのは、責任放棄であり記者の側の責任である。
日経よ、お前もか。テレビだけでなく、新聞にも絶望感を覚える。
----------------------------------
ときの佐藤栄作首相がまくしたてる。「新聞記者の諸君とは話さない。偏向的な新聞は大嫌いだ。(テレビで)直接国民に話したいんだ」。最後には記者団を追い出し、ガランとした会場でただ独りテレビカメラ相手に語り始めた――。
▼1972年6月。8年近い長期政権の座を退く決意を明らかにした首相の記者会見は、こんなふうに進んだ。前代未聞の展開だった。動画投稿サ イト「ユーチューブ」に秋葉忠利広島市長が「4選不出馬会見」なるメッセージを投稿している。市民に直接呼びかけるスタイルは、思えば佐藤さんのお好みと 一緒だ。
▼箱根駅伝を引き、後継者にたすきをつなぐ大切さに触れた箇所など、なるほどと思う。だが、退任会見には応じず「ユーチューブを見てほしい」 の一点張りという姿勢には首をかしげる。「報道が不正確だ」との不満を最近口にしていたというが、質問も抜きに12年の任期を締めくくってしまっていいの だろうか。
▼処世哲学を説く中国の「菜根譚」に「耳中(じちゅう)常に耳に逆らうの言(ことば)を聞く」とある。苦言に耳を傾ける心がけを忘れるなとい ういさめである。為政者と記者、やりあうのが宿命のようなものだ。佐藤首相の引き際がいまも鮮明なのは、記者を追放したからであって、残念ながらその後の ひとり語りの中身は記憶しない。
-----------------------------
為政者は自らの言葉、行動に責任を持たねばならない。
それに比べ記者は、国民の名を借りて、裏をとることもせず言いたい放題、結果がどうであるかは二の次、常に為政者の足を引っ張ることだけを考える。
「ひとり語りの中身」を記憶しないのは、責任放棄であり記者の側の責任である。
日経よ、お前もか。テレビだけでなく、新聞にも絶望感を覚える。
記事検索
中吊り